自宅と仕事場を兼ねているケースが多い、小説家や漫画家、美術家など作家の家。生活の場であり、創作の場でもある家にはどんなこだわりが詰まっているのでしょう。
作家の家を訪ね、その暮らしぶりや創作風景を拝見する連載「作家と家」。第3回は『快感・フレーズ』『覇王・愛人』『ラブセレブ』などで知られる漫画家・新條まゆさんの自宅を紹介します。
デビュー以来ずっと東京に住み、追い立てられるように仕事をしてきた新條さんは、2017年に長野県・軽井沢へ移住。一時は漫画を描くことが嫌いになったこともありましたが、自ら探した土地に自らプランニングした家を建て、お気に入りのアンティーク家具に囲まれて暮らす今は、自分のペースで楽しく仕事ができているそう。
この家で“心の余裕”を取り戻したと話す新條さんに、生活と仕事を楽しむ現在の日々についてお話を伺いました。
※取材は、新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で7月中旬に実施しました
「無駄なものにこそ心の余裕が表れる」をモットーに、自宅をセルフプロデュース
軽井沢の中心街から少し離れた、周辺に木々が生い茂る約600坪の土地。新條さんはそこに、まるで海外の住宅のようなこだわりのログハウスを建て、家族、愛猫、愛犬と一緒に暮らしています。別荘ではなく、東京の家を売却して実現した完全な移住でした。
「これからずっと軽井沢に住みながら仕事をしたいと考え、別荘地ではなく、周囲にあまり家がない静かな環境の土地を探しました。この場所はもともとたくさんの木々が生い茂る原野で、奥まっていて閑静であることと、ロケーションに惹かれて。
目の前が畑なので眺望が開けていて、昼は太陽、夜は月がきれいに見えます。軽井沢は鬱蒼(うっそう)とした林に囲まれた場所が多く、抜けのいい景観は貴重なんですよ」
天井や壁など、内装は白を基調とし、家具や調度品も白やグレー、ベージュなどの同系色で統一。26歳で東京に戸建てを建ててから、家づくりやインテリアの勉強を続けてきた新條さんのこだわりが、美しい空間にあふれています。
リビングで目を引くのが、白いレンガで囲まれた暖炉。新條さんが“洋風いろり”と呼ぶそれは、ここに集まる友人たちと火を囲むためにつくったものだそうです。
「火をつけると、みんな大興奮して喜んでくれるんです。ただ、1時間くらいで薪が燃え尽きてしまうので暖房器具としては微妙ですね(笑)。
無駄かもしれませんが、こういうものをわざわざ置くのって、心の余裕の表れだと思っていて。だから、この家はあえて“無駄”を意識してデザインしたんですよ」
そんな心の余裕を体現する大事な要素の一つが、数々のアンティーク家具。なかには200年の歴史を刻むものもあり、空間に華やかさと重厚な緊張感をまとわせています。
「古いので、勝手に扉が開いちゃうことも。でも、それも含めて味なんです。それに、100年の時を超えてきた深みや迫力は、どんな高級家具にだって醸し出すことはできません。
そういう意味ではこの家も同じで、ログハウスって50年たったころにやっと味が出て、100年で貫禄が出ると言われていて。そんなふうに、住めば住むほどアンティークがなじむ家をつくりたかったんです」
現在は大好きなアンティークに囲まれた生活を送る新條さん。しかし東京時代は空間の無駄を削ぎ落とし、効率を突き詰めた生活を送っていました。
「以前はミニマリストでした。とにかく効率重視で、いかに掃除の手間を省いてスッキリとした生活を送るか、そればかりを考えていて。いつも仕事に追われていたから、そうせざるを得なかったところもありますが、心の余裕のなさが空間にも表れていたように思います。
でも、今はガーデニングや家の手入れにたっぷり時間をかけられるし、それが苦にならなくなりました。漫画を描くことも含め、全てが楽しい時間になっています」
大好きな軽井沢に、大好きなアンティークが似合う家を建てたかった
今では「ずっと住みたい」と話すほど気に入っている軽井沢ですが、もともとは何の縁もゆかりもない町。地方出身ということもあり、自然が多い場所への憧れもなかったそうです。なぜ「ここ」に家を建てたのでしょうか。
「いくつかきっかけはありますが、そもそもの発端は2013年に漫画家の稚野鳥子先生と行った『パリへのアンティーク旅行』です。アンティーク好きな稚野先生の熱心な解説とともに、1週間ひたすらアンティークショップだけを巡ったことで、当時はさほど興味がなかった私もそのうち感化されちゃって。
翌年以降も稚野先生とアンティーク旅行をするのが楽しみになり、気付けばどんどん家具や雑貨が増えていって……」
「ただ、当時住んでいたシンプルな家とアンティークがとにかく合わなくて……。倉庫に仕舞ったり、ネーム部屋にしていたマンションに保管したりしていました。せっかく買ったのにきちんと飾れず、空間になじんでいない家具や調度品を見ているうちに『いつかアンティークが似合う家を建てたい』と漠然と考えるようになりました」
アンティークの魅力にハマるのとほぼ同時期に魅了されたのが、たまたま訪れた軽井沢の自然でした。
「私は長崎の自然が多い場所で育ったので、正直、山や木は見慣れていて。でも、黄緑色の新緑に覆われた6月の軽井沢は本当に美しく、私が知っている田舎の風景とは全然違っていました。それに気候もいい。
それまで『避暑地って言っても、東京から1時間でそんなに変わらないでしょ!』と疑っていたんですけど、軽井沢駅で新幹線を降りた瞬間から涼しくて、やっと人気の理由がわかりましたね」
以来、足繁く軽井沢に通うようになり、徐々に滞在期間も延びていきました。ネームを描くために2週間ほど滞在するなど、ワーケーションのような形で利用することも増えたことから、次第に軽井沢で土地探しを始めます。
「土地探しといっても、最初はお遊び感覚でした。当時は資金もなかったですし『いつか軽井沢に家を建てられたらいいな』という妄想に近い願望で」
次第に作画もデジタル化し、ネームだけでなく全ての仕事が場所を選ばずできるようになりました。これが移住を後押しする大きな要因になったと振り返ります。
「紙や画材の保管場所、大きなコピー機を置くスペースが不要になったほか、アシスタントも仕事場に来る必要がなくなり、部屋が余るようになってしまったんです。当時の仕事部屋は20畳くらいありましたが、私一人の机にパソコンがポツンと置いてあるだけの空間になって。
その時に、この家は仕事のやり方やライフスタイルに合っていないと感じ、思い切って売ることにしました」
それが2016年のこと。軽井沢での土地探し始めてからも約3年が経過しており、移住が現実味を帯びていました。
「さすがに3年も探していると、すでに“お遊び”ではなくなっていましたね。こんな土地にこういう家を建てたいという具体的なコンセプトも、かなり膨らんでいました。東京の家を売れば資金ができるし、いよいよ本気で建てようと。同居する親を説得するのは、少し大変でしたけどね(笑)」
一度は離れた漫画への気持ちが“家”と“時間”により再生した
どこでも作業ができるようになったことは、家づくりにも大きな影響を与えました。仕事部屋さえ不要になったため、全ての空間を思いのまま、自由に設計することができたのです。
「ここは“無駄”を大切にした家ですが、私にとって必要だと思った空間だけをつくったので、部屋数は最低限しかなく “余剰”は一つもありません。どの場所も大好きなので、気分に合わせて仕事する場所を変えています。
天気の良い日はテラスやベランダでネームを描いたり、冬の寒い日は寝室にこもって仕事をしたり。特にお気に入りなのは2階のオープンスペース。春は新緑、秋は紅葉と、窓から見える季節の移り変わりを感じながら漫画を描くのが楽しくて」
現在は軽井沢で穏やかに楽しく仕事ができている新條さんですが、かつては漫画を描くのが嫌になった時期もありました。
「東京で締め切りに追われていたころは、3時間寝て、2日徹夜するような日々でした。トイレの前で気絶するように眠ってしまったことも、目薬を差そうとして顔を上げたらそのまま“落ちて”しまったこともあります。
こんなことを続けていたら死んでしまうと思ったし、締め切りを守るために妥協して描いていることに対しても罪悪感を覚えていました。頑張りとは正反対に打ち切りになっても『ああ、そりゃそうですよね……』と納得してしまうというか。そうして2014年に『プチリタイヤ』を宣言して、漫画を描くことからいったん離れました」
プチリタイヤ宣言から7年たった今、新條さんは再び漫画を描いています。それも、こだわり抜いた作品を、無理のないペースで。その裏側には「漫画を納得いくまで描き続けられる環境を整えたい」という、新條さんの決意がありました。
「移住とこの家を建てたこと、そして仕事のやり方を大きく変えたことで、環境が整いました。フルデジタルに移行したことで作業コストが減って紙の原稿より時間に追われなくなったし、今の漫画制作ソフトはいろんなことができるので、表現の幅も広がりました。
今は背景だけをアシスタントにお願いしていて、人物は全て自分で描いています。髪のツヤの出し方から服のシワ一つまで、一枚の絵を仕上げるような感覚でこだわれるようになり、今はまた、漫画を描くのが大好きになっています」
『虹色の龍は女神を抱く』
(C)新條まゆ / ナンバーナイン
「漫画を好きでい続けるため」に8時間以上は描かないと決め、新たな気持ちで執筆活動を再開した新條さん。
紆余曲折を経てたどり着いた場所で、自身が最も幸せでいられるための家と時間を手に入れたその笑顔と言葉は、軽井沢の森のように穏やかでした。
「作家と家」アーカイブはこちら
お話を伺った方:新條まゆ
漫画家。1994年に「あなたの色に染まりたい」でデビュー。以降テレビアニメ化もし国内外で大ヒットした『快感・フレーズ』をはじめ、『覇王・愛人』『ラブセレブ』『愛を歌うより俺に溺れろ!』などの作品を発表し、女性を中心に絶大な人気を集める。現在はコミックシーモアなど電子書籍ストアにて最新作『虹色の龍は女神を抱く』を配信中。
Twitter:@shinjomayu
聞き手・文:榎並紀行(やじろべえ)
写真:関口佳代
編集:はてな編集部